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学校に求めるもの

今学校がゆれている。先生たちの不祥事やいじめ、不登校、学級崩壊…。
何故これほどまでに学校という聖域が壊れてしまったのだろう。
昔から確かにいじめや学級崩壊などは存在した。だが、ここまで社会的に問題になるまでには広がっていなかった。よくゲームやインターネット、携帯電話がその原因として槍玉に挙げられるが、本当にそれらが原因なのだろうか。もしそれらが問題の原因であるならば、原因は全て生徒側にあるといっていることになる。なら先生たちの不祥事は何故これほどまでに多発しているのか。
学校に求められているものとはなんなのだろう。
良い大学、企業に入れるための知識を教えること。一つの求められていることではある。だが、今はすでに方向転換を図ることになった「ゆとり」。知識の質を低下させてしまった原因。本来は社会的、道徳的な思想、考え方を学校で学ばせるためのものだったはずだが、「ゆとり」を取り入れたときにも反道徳的な先生たちの不祥事が多発し、知識も低下させてしまったのだから、何の効果もないばかりか罪ばかりを増大させてしまった政策である。
また「ゆとり」は本来子供たちにゆとりを与え、大人たちと一緒に社会的、道徳的な勉強をするためのものだったはずであるが、その大人たちは多面的なライフスタイルと称し夜間勤務や休・祝日に出勤し、家には誰もいない。また学校で身近な大人である先生たちも不祥事や欝になる方も多く、教えられるような状況ではない。
政策と現状の不一致こそが、学校を崩壊させた原因であり、今こそ政治家、官僚、大人たちは自分たちの政策や行動などを見直し、子供たちに向けて本来行うべき教育を真剣に考えるべきであろう。

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